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3 なじみの品物が手元にないと

施設で暮らすお年寄りにとって、所持品の持ち込みは非常に重要です。日頃なじんでいた品物が手元にあるだけで安心します。そうした品物が身近になければ、そのことばかり気にします。大切なものが見えないと、さみしくなったり、盗られたと心配になったり、家へ帰ると言い続けたり、さらに自分らしさが失せてしまいます。

ところが多くの施設には施設特有のルールがあって、できるかぎり所持品の持ち込みを制限しようとします。お年寄りが家族に伴われて入居のためにやって来たとき、最初に行われる手続き(儀式)が所持品のチェックです。その席では、施設での生活に必要な最低限の持ち物だけが選別されます。残りの品物は、収納場所がないからとか、ベッドのまわりが乱雑になるからとか、邪魔になるからとか、大切なものを失くすと困るからという理由で、家族が持ち帰ることになります。お年寄りにとって大切な品物は、かならずしも職員の目には大切なものとして映りません。亡くなった夫が遺していった(形見の)夫婦茶碗を持ち込んだお年寄りは、理不尽な説得の末に、それを取り上げられてしまいます。その人はもう、夫といっしょにお茶を楽しむことができません。

元気なころの社会的活躍をしめすトロフィーや賞状なども、職員にとっては無用の長物です。なぜなら、過去の栄光は施設内の人間関係の邪魔になるからです。いつもそれを見せつけられて、自慢ばかりされていたらたまりません。こうして入居者たちは過去の自分を証明する証拠品を手元から取り上げられていくのです。かりに、その人が、かつて社会的に立派な人物であったとしても、それを立証するものがないわけですから、その人の主張は根拠のない自慢話にしか聞こえません。こうして入居者たちは所持品だけでなく社会性までも奪われていきます。これは、入居後延々と続いていく入居者教育の第一歩なのです。

では、施設はこうした入居者教育(所持品の制限もその一つ)をとおして何をしようとしているのでしょうか。施設の職員が望む入居者像とは、みんな一律で、なるべく個性や自己主張を外に出さない入居者たちです。そのほうが仕事しやすいからです。みんなが個性豊かで、バラバラであったら、援助の方法も個別的にならざるをえません。それはいやなのです。施設のなかでは問題を起こすお年寄りに向かって、「あなたも他の人と同じようにしてくれないと困ります」という職員の声がよく聞かれます。このようなことが繰り返されると、いつか入居者たちは自分らしさをあきらめて、平均化していきます。この平均化してしまった姿こそ ― 職員の立場からすると ― 入居者たちが施設生活に適合した証しなのです。

入居者たちは、それまで馴染んでいた品物が手元にあることによって安心し、周囲に自分らしさを示すことができます。所持品にはこんなにも大切な意味が込められています。ですから、スペースに余裕のあるかぎり所持品の持ち込みを認めてあげる必要があります。家族にも所持品の持ち込みを奨励しなければなりません。居室にナイト・キャップが置いてあっても構わないじゃないですか。ひとり暮らしをしていたお年寄りが施設へ移るときに最も手放したくないのは、亡くなった配偶者の写真や位牌なのかもしれません。毎朝、その人が、その写真の前にご飯を供えている光景を思い浮かべてみましょう。亡くなったご主人に手を合わせ、新たな一日の無事を祈っている姿が想像できますか?

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